「壁の向こうから」  06.08.06  米山恭平神学生
               フィリピ2:1〜11

 私たちはさまざまな物によって、他人との間に「無関心と
いう壁」を作り出してしまっています。それは思想や政治の
違いと言った大きな物から、個々人の趣味や好みといった
私たちにとって身近な物まで広きにわたっています。 
 しかしこのような違いというものは、それぞれの個性で
あり、神様が一人一人にお与え下さった賜物であります。
 それぞれが異なる賜物を頂いているのですから、人に
よって生き方や考え方は違います(第一コリント7:7)。
 本来ならそれぞれの「賜物を生かして互いに仕える
(第一ペトロ4:10)」べきです。
 しかし私たちはそのような賜物の違いを、他人と比較
して優劣を判断する「はかり」として、また他人を裁く材料に
してしまっているという現実があります。
 もちろん、自分の賜物を尊重することは必要なことですが、
他人の賜物をも同じように尊ぶことなしでは、他人との
間に壁を作り上げるだけです。しかし私たちは自分の誇りや
名誉を捨ててへりくだって、「無関心の壁」を越えて、他人の
ことを理解することが求められています。
 主イエスは、神と人間との間にあった壁を越えてこの世に
来られました。それは、ご自身の神としての身分を全く捨て
去って、であります。 私たちの罪を赦して下さろうと、
私たちに仕える者となられたのです。それはこの上ない
「へりくだり」です。
 優れた、全く汚れのない相手に対してではなく、罪に
汚れた誇るべきところなど何もない人間に対してそう
されたのですから!
 私たちまた、主イエスのようにへりくだって「無関心の壁」を
越えることができます。
 なぜなら、神様から主イエスによって「励まし、愛の慰め、
憐れみの心」を授かっているからです。
 例え「幾らか」であっても神様からの力ですから、
それは可能です。
 
私たちは決して遠く離れたところにいません。
 このような恵みが与えられていることに信頼を置いて
「他人のことにも注意を払っ(フィリピ2:4)」てみましょう。